次に、朝目覚めて身支度を整えてから黒住教にご縁をもたれている皆様がつとめている祈りの時間について記載したいと思います。
まず、黒住教本部において教主様ご先達(せんだち)のもと“日拝壇”で毎朝執り行われています『日拝(にっぱい)』の式次第を以下に記載します。
【 日拝式々次第 】
一、黒住教教主以下日拝所に参進着座
一、禊祓詞を唱う
一、大祓詞を唱う
一、日拝祝詞を奏す
一、御陽気修行
一、御神水御祈念
一、御神詠奉讃歌(※1)
一、御開運の祈り(※2)
一、黒住教教主以下退下
しかし、これらを日々ご自宅で皆様が毎日おつとめしなければいけないことはありません。(もちろん、つとめられる方は上記の日拝式同様につとめていただければ結構なことだと思います) ですが、日々東天に向かい万物の命の根源たるお日様に感謝し、そのお日様の御徳を心に養えるように、お祓い(禊祓詞~大祓詞)を上げ、太陽の御光を自らの下腹にお供えする心持ちで「御陽気修行」をつとめていただければと思います。 また、ご出勤などで朝に時間が取れない方は、せめて身支度を整えて、お日様に向かい二拍手の後、「御陽気修行」だけでもおつとめいただければと思います。
「御陽気修行」については、六代 黒住宗晴教主様が著された「お日の出を拝もう」(黒住教日新社 発行)という小冊子(頒価100円)に詳しく紹介されていますので、黒住教本部またはお近くの教会所で購入していただき、そちらをご覧下さい。
また、この『日拝』について、教主様が昭和45年に皆のためにわかりやすく冊子に著された文面がありますので、ここに転載させていただきます。
「 天地の大生命の顕現である太陽、とりわけ朝日を拝むということは、私たちの体内に等しくある大生命力、いきものが充実して活動する最も良い方法です。
私たちは毎日、朝日に向かって、きょう一日朝日のように、丸く、明るく、いきいきとたくましく、そして、光、暖まりをひたすら与えて、すべてを生かし育くむ姿を心として生きていこうという誓いをたてます。
朝日はながめているだけで心が洗われる思いがするものですが、日拝のとき私たちは、朝日をわが体中に呼びこむような心地でお祓いの詞を声高らかに唱え、さらに、朝日をのみこむ気持ちで朝の清新な空気を胸一ぱい、腹一ぱいにのみこみます。(ご陽気修行といいます)そして、ご神水として、日拝するときにコップ一杯に水をくんでお供えしておいて、日拝がすんだら、それを有り難くいただくのです。 朝の光、空気、水、すべて天地の恵みです。 これを毎朝一日の始まりにいただくのです。
朝日は、神の現われであり、私たちの本心でもあります。 さらに黒住教のお道づれにとっては、まさに教祖宗忠様のお心でもあるのです。 こうした、知的にも情的にも、さらに意的にもみたされた思いで日拝するとき、その人にとって、どれほど日拝が大きな力を与えてくれるかわかりません。 これは私のささやかな個人的な経験ですが、日ごろは一本の木、一つの石ころをみても別にとりたてていうほどの感興もわかないのに、日拝をしながら、あるいは日拝直後に見たり、接したりする草木一つ一つが、自分と兄弟のような親しさをもって接することのできるのは不思議なことです。 私にとって、これは短い時間ではありますが、実にすばらしいひとときなのです。
実に、日拝は私たちにとって、一日の始まりであり、ちょうど朝、顔を洗うように、毎朝の心のせんたくのときとも申せましょう。
日拝こそは黒住教における最もたいせつな修行の場であり、黒住教とは日拝する宗教といっても過言ではありません。
この日拝が、古くから行われてきた、原始宗教の間に見られた太陽崇拝とはまた異なることはおわかりでしょう。太陽に対するあの素朴な感謝は忘れてはなりませんが、単に太陽に対する恐れから手を合わすというのではなくて、太陽をわが心とする祈り、いわば太陽と人間との間に距離をおかない、一体化の姿が日拝なのです。
考えてみますと、日本人ほど太陽の好きな民族もないのではないでしょうか。
国名を日本といい、国旗が太陽を表わし、日本の神といえば天照太神。 さらに昔は西洋から日本のことは「日出ずる国」とまでいわれたことなど考え合わせますと、宗教宗派をこえて、日本人はもっとも太陽にもどるべきではないでしょうか。 何か、太陽と現代の日本人の心の間にスモッグができてしまっていて、しかもそれに気づいていない人が多すぎるように思うのです。
宗忠様は太陽のことを「まること」ともいわれ、このまることの「る」がつづまってまこと=誠になったのだともいわれています。 すなわち、私たちの心が神の心にかなった姿を誠というのです。 神の心、太陽の心を誠ということばで表現しているのです。
ですから、日拝するということは、つねに心が誠であるための栄養分を心に与える時だともいえましょう。」(「おみちびき」より)
上文を読んでいただければご理解いただけるように、黒住教において『日拝』をつとめる時間は特別な祈りのひとときで、黒住教の宝といっても過言ではありません。
そして、それは本教独自の宗教的な儀式のみにとどまらず、人間の生活リズムを整えるため、特に睡眠においては朝起床してから太陽の御光をその身に浴びることはとても重要なことだともいわれています。 ですから皆様が日々健やかに過ごすためにも非常に大切なことなのです。
ちなみに、毎月一日には黒住教本部をはじめ全国の教会所で「ついたちご日拝」をつとめています。 百聞は一見にしかずといいますので、まずは神道山やご縁ある教会所のご日拝にお気軽に御参加いただければと思います。 但し、教会所によって開始時間は異なりますので、必ず開始時間をご確認の上でお参り下さい。
(※1)「御神詠奉讃歌」・・・「♪ 天照らす神の御徳は天地(あめつち)にみちてかけなき恵みなるかな 日々に朝日に向かい心から 限りなき身と思う嬉しさ かくこそと詠ませ給える御教えを心にえりて 日々につとめん 日々につとめん
♪」
(※2)「御開運の祈り」・・・「謹みて 天照大御神の御開運を祈り奉る」
毎朝、神さまとご先祖さまに「お酒(一対)・洗米・塩・水」のお供えを済ませてから、そのご神前・ご霊前に対してお祈りをいたします。
これを「朝拝(ちょうはい)」といい、このことは御自宅での祭祀だけでなく、黒住教本部や各教会所でも同様におつとめしていますので、それらに準じて行って下さい。
参考のために当所(黒住教大阪大教会所)の朝拝の式次第を紹介させていただきます。
【 朝拝式次第 】
一、神前に参進着座
一、禊祓詞を唱う
一、大祓詞を唱う
一、朝拝祝詞を奏す
一、御祈念
一、祖霊舎に進み禊祓詞を唱う
一、祖霊舎告辞を告ぐ
一、退下
皆様のご自宅では・・・
まず、ご神前・ご霊前にてお祓い(禊祓詞~大祓詞)を下腹から朗々とあげて、続いて神様・ご先祖様に対して、日々の感謝と一日のお誓い、またご家族のことやご自身のことで願い事があれば二拍手して手を合わせ祈りを込めていただければと思います。
私も「家祓い」(※3)などでそれぞれのお宅にお伺いし、「こうして、神様やご先祖様にお祈りすると心が落ち着きます。」「心につかえていたものがスッとしたように思います。」といったお話を聞かせていただくことがあります。 皆様が抱えられているそれぞれの問題が直接には解決しなくとも、不思議とご神前・ご霊前に向き合い拝むことによって心が定まって清々しい思いになり、前を向けるキッカケにもなるときがあるものです。
そうして、祈りを込めていただいた後、その日の実践要項として、『御七ヵ条』を心中または声高らかにあげて下さい。
(この『御七ヵ条』というのは、宗忠神が人に与えられたものではなく、青年期の頃から、ご自身の身の戒めとして五ヵ条を記されていたものに、天照大御神さまとご一体になられたといわれる“天命直授(てんめいじきじゅ)”の後、悟後の修行といわれる“千日のご参籠”をされて二ヵ条を加えられ記されたものです。
これはひとえにご自身やご家族のためのいわば黒住家の家訓でしたが、それを当時の門人たちが宗忠さまにお願いされて次々に染筆いただいたものが、今日に伝えられ、現在では黒住教にご縁ある方々の自らの生き方とその反省の指針となっています。)
以上が、『日拝』の後におつとめいただく『朝拝』の説明です。
(※3)「家祓い」
依頼された家や会社に毎月伺って、祭祀されている御三神・ご先祖さまへご拝し、ご家庭(会社)の御開運をお祈りさせていただくこと。 基本的には、そのご家庭で祭祀されているご先祖さまの祥月命日に伺わせていただいています。
“夕拝”とは、読んで字の如く“夕方に拝む”ことです。 ご覧いただいている方の中には「朝からもう夕方の時間帯にとぶの?」と思われる方もあるかもしれませんが、ご家庭での日々のおつとめはこの朝夕のおつとめが基本となると覚えて下さい。
朝拝後は、前回紹介した『ご七ヵ条』にも「無病の時 家業怠りのこと 恐るべし 恐るべし」とあるように、各自が受け持ち与えられている仕事や学業をしっかりと努めましょう。
尚、当所(黒住教大阪大教会所)においての夕拝の式次第は以下のとおりです。
【 夕拝式次第 】
一、神前に参進着座
一、禊祓詞を唱う
一、大祓詞を唱う
一、夕拝祝詞を奏す
一、祖霊舎前に着座
一、禊祓詞を唱う
一、退下
また、夕拝の時に祈りを込められる際に、その日あった出来事などを神様やご先祖さまに心中でご報告されるのも良いかもしれません。 さらに『ご七ヵ条』を朝拝の時と同様に心中または声高らかにあげていただき、今日一日のことを振り返って自分の行動が御七ヵ条にそったものであったかどうか省みて下さい。
私見ですが、“朝拝”はいわば今日という一日を迎えられたことへの感謝とその一日を自分なりに精一杯つとめあげることへの誓いの祈りであり、“夕拝”は、今日という一日を無事に過ごさせていただいた感謝と明日を今日以上に輝いたものにするために自らを省みるための祈りといえるかもしれません。
教祖宗忠神は、「心で心に祈れよ。」「心をもって心を養え」と御教示されていますし、昔から「反省のないところに成長なし」といわれるように、やはり自らを謙虚に受け止め、日々の祈りを通じて自らを律することは大切なことだと思います。
そして、『夕拝』が終わりましたら、朝にお供えしたものをご神前とご霊前からお下げします。
このことを『撤饌(てっせん)』といいます。
黒住教 大教殿をはじめ各教会所は、夕方(午後4時ごろ)にこの夕拝を行い、ご神前・ご霊前へのお供えを撤饌していますので、皆様の御自宅においてもこれに準じて下さい。(お勤めされている方は“夕方”という時間帯にこだわれることなく、帰宅してからおつとめいただければ結構です)
そして、お供えをお下げした後は、朝同様に・・・
① ご神前・ご霊前が汚れていないか
② ご神前の榊、ご霊前の榊や供花が枯れていないか
を確認していただければと思います。
以上が、基本的な日々のご家庭でのおつとめになります。
その際の注意点として忘れないでいただきたいのは、“黒住教本部・大教殿及び所属の教会所に準ずる”ということです。
ですからそのためにも黒住教本部 大教殿・宗忠神社やご縁ある教会所で、どのような御祭や行事がなされているかということにも目を向けていただきたいと思いますし、ご参拝時にでも祭祀について分からないことがあればお気軽にご質問いただければと思います。
尚、この項は「誠之道」と題して紹介しました。 このタイトルは副教主様が著された小冊子(頒価100円)からいただいたものです。 この小冊子は先に紹介した「道の緒」「道端感謝」には紹介されていなかった教祖宗忠神が当時の門人に宛ててしたためられたお手紙(御文)も「候文」で引用されていて、より深く御教えを味わうことができるものです。
しかし、教祖神の御教えも祈り方も一度触れたからといって理解したというものでなく、そこにはやはり実践し続けてこそ、初めて「知る」ということになるのだと思います。 六代
黒住宗晴教主様はそのところを「体取(たいしゅ)」という御言葉でもって御教示されておられますが、教祖神の御教えは実に深遠です。
お互いに、人間的にも霊徳的にも高くまさに“生き神さま”とご生前から仰がれた教祖神に一歩でも近づけるように心を養い、またその教祖神に日々の祈りを通じて縁深い方々やご先祖さまをお導きいただけるように、一日一日を大切に歩んでいきたいものです。
最後に、この小冊子「誠之道」より転載させていただきます。
「「太陽、とりわけ日の出の太陽に顕現される万物を生かし育む親神が天照大御神で、人は天照大御神のご分心をいただく神の子」という、まさに「日の本=日が本」の教えを信じ切って、ご分心の鎮まる自らの心を“お日様”のように、丸く、大きく、明るく、あたたかく、逞しく養うこの道は「誠の道」であると同時に「誠が道」、すなわち「誠之道」なのです。誠に徹し、誠を尽くして、「人となる道、すなわち神となる道」を、ともに歩んでまいりましょう。」
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