黒住教本部神殿「大教殿」について
わが国の古来の信仰である神道は、米づくり(稲作)とともに始まったといわれている。神道の総本宮である伊勢神宮は、古代の米蔵が構造的にそのまま踏襲されているが、米蔵を人の住居としたのが日本の農家といえよう。
昭和49年(1974)の大教殿神道山遷座に際し、農家を基本とした建築をと建築設計家浦辺鎮太郎氏に依頼した。御本殿は伊勢神宮内宮の古材でもって造営されている。教場は300畳のたたみ敷き。大屋根は板状の玄昌石(宮城県産出)が葺かれ、その上には備前焼作家岡山県無形文化財保持者であった故藤原健氏製作献納の備前焼で千木鰹木棟瓦が設えられている。大教殿の足元は、石鎚山(愛媛県)連峰から運ばれた安山岩が基壇石として使われている。(「黒住教のあらまし」より)
黒住教本部「霊地 神道山」について
黒住教の本部は岡山市尾上神道山(JR岡山駅から西に車で約15分)にあり、岡山市街地からはるか瀬戸内海を見はるかす頂上(海抜120m)に「日拝壇」があって、ここで、教主を先達に毎朝、日の出を迎え拝む「日拝式」が欠かさず執り行われている。 この境内地約30万平方m(10万坪)の丘陵地には本部神殿である「大教殿」をはじめ、教祖宗忠を中心とする代々の教主の墓、信者(道づれという)の分骨墓である「お道づれ生族の墓」のある「奥津城」があって、主な祈りの場となっている。 また、毎年春と秋に開講して100日間の修行を通して黒住教の布教師を養成する黒住教学院や、通信教育方式で教えを学ぶ部門と、教団の月刊機関誌「日新」の編集を担当する部門もある。 さらに、黒住教経典の原典である教祖の書き残した短歌や手紙、そして備前焼をはじめ様々な陶芸作品、絵画などを陳列し、会議場のホールも併せ持つ「宝物館・まることセンター」、宿泊施設のある「鶯鳴館」や食堂である「神道山茶店」があり、その周辺には500台余駐車できる広場がある。
主な祭りは、春の教祖大祭、夏の大祓大祭、冬の冬至大祭で、昭和49年(1974)に立教の地である霊地大元から神道山に大教殿が遷座以来、秋にご遷座記念祝祭が執り行われている。