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黒住教の宗際活動SHINTOZAN

 宗教には人々の幸せに奉仕することはもとより、世界の平和に役立つべくつとめる責務がある。 いわんや、宗教が争いの因(もと)になることは絶対にさけなければならない。 そのためにも、異なる宗教者同士が互いに交流し、“共通項”で共同、共働していくことが肝要である 

「世界連邦日本宗教委員会」と「世界宗教者平和会議日本委員会」とともに

活動報告写真 岡山はもともと宗教間同士の交流のあるところで、昭和10年代から先代の五代教主は他教団の幹部方との交わりを深めていた。名称はいろいろ変わったが、特に戦後は五代教主を中心とした宗教間交流が盛んで、今日の世界連邦日本宗教委員会岡山宗教者の会は、全国的にみてもユニークな活動を重ねてきている。なお、現教主はこの世界連邦日本宗教委員会代表委員4名の1人となっている。岡山には平成8年(1996)以来、副教主が事務局長をつとめる12教団からの青年宗教者の共同、共働グループRNN(人道援助宗教NGOネットワーク)があって、大災害のときなどに緊急援助活動を国際的にも展開し、また平成13年(2001)のいわゆる9・11テロ直後の10月5日には、RNN主催の「イスラム教についてのシンポジウム」を日本ムスリム協会会長樋口美作師を招いて大元の武道館で開催した。

 昭和50年(1975)、今日WCRPと略称される世界宗教者平和会議の創設に尽くした庭野日敬立正佼成会会長が神道山に参拝し、教主に参加を呼びかけた。翌年の昭和51年(1976)11月、シンガポールにおいて開催された第1回のACRP(アジア宗教者平和会議)に出席した教主は、開会式の壇上に立ち開会の祈りを捧げた。これが機縁となって昭和54年(1979)8月、アメリカ・プリンストン大学を会場に開催された第3回世界宗教者平和会議に出席した教主は、その開会の式典が行われたニューヨークのセントパトリック大聖堂において「大調和への祈り」(英文)と題した講演をし、開会の祈りをつとめた。この会議のさ中、その頃険悪な間柄であった中国とソ連(当時)の宗教者との仲をとり持つ役も教主は果たして注目された。今日、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は財団法人化され、教主は理事をつとめている。
 このWCRP青年部会結成30年の記念大会が、平成15年(2003)6月に開かれ、副教主が招かれてその記念講演をつとめた。副教主は、ロンドン大学留学中の昭和62年(1987)、「WCRPピースバス」という当時の東西両陣営の国々をロンドンからモスクワまでバスで旅行する活動に、世界各国の青年宗教者の一員として参加した。またロンドンで昭和63年(1988)に開催されたグローバルフォーラムに教主の名代として出席したが、最も若い正式代表として注目を集めた。

神道山で「神道国際研究会」の開催 

活動報告写真 平成2年(1990)、前記グローバルフォーラムの執行委員を中心に、シリアのイスラム教最高指導者アフマド・クフタロ師をはじめ各国の宗教者、そして政治家、ジャーナリスト30名余が来日して、神道山で「神道ワークショップ(神道国際研究会)」を開催した。講師は後に國學院大学になった上田賢治氏、同阿部美哉氏、皇學館大学理事長櫻井勝之進氏、同学長谷省吾氏、そして仏教界から薬師寺管主高田好胤師がつとめた。また海外における神道や黒住教研究者のアメリカ・ハーバード大学宗教学準教授(当時)ヘレン・ハーデカ女史、ライト大学宗教学教授ウィリス・ステイツ氏、タイ・カセサート大学教授ペンシー・カンチャノマイ女史が参加して講演した。2泊3日間の研究会の後、一行は伊勢神宮に参拝して散会した。

ダライ・ラマ法王の参拝

活動報告写真 平成7年(1995)3月、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王を、本教が責任教団となって招聘した。これは、複雑な国際問題から11年間もわが国への法王の入国ができていなかったため、法王招致委員会の要請を受けてのものだった。法王招致委員会の要請を受けてのものだった。法王一行には来日後、広島市に直行し、終戦50年、被爆50年の原爆記念碑前での法要をつとめた後、岡山に到着した。神道山大教殿における講演、翌日も神道山で青年たちとの交流などが続き、さらに林原生物化学研究所や障害者福祉施設などを見学しての4泊5日間の岡山滞在であった。

「ミレニアム世界平和サミット(国際宗教サミット)」に参加

活動報告写真 平成12年、西暦2000年のこの年8月、コフィ・アナン国連事務総長の呼びかけになる「ミレニアム世界平和サミット(国連宗教サミット)」が開かれ、ニューヨークの国連本部総会議場を始めて1000名余の各国の宗教者が埋めた。副教主が日本使節団の幹事長役を指名され、伊勢神宮久邇邦昭大宮司、天台座主渡邊惠進師をはじめ立正佼成会庭野日鑛会長、新日本宗教連合会深田充啓会長、大本広瀬静水総長ら27名が参加した。4日間の会議は、本教教主の閉会の挨拶と祈りでもって閉じた。
 なお本教の提案で、“世界の火薬庫”といわれて久しいバルカン半島各地から11名の様々な宗教代表を招いて会議が持たれたが、その費用の大半は岡山財界有志からの浄財によるものであった。また正式カメラマンは1国1名と限定されていて岡山の山陽新聞社が写真部員を、同時通訳者は岡山のベネッセコーポレーションが関連ベルリッツから4名派遣してくれた。

9・11テロをきっかけに

 9・11テロ同時多発テロ発生の翌日、副教主は国連宗教サミットをはじめ今まで知遇を得てきた各国の宗教者に電子メールでもって、これが、イスラム対西洋のいわゆる文明の衝突になることのないように宗教者として共働してつとめようと訴えた。そして前記のごとく、10月5日RNN主催のイスラムについてのシンポジウム開催と続いた。さらに10月末にはニューヨークで同じような集会が開かれ、副教主が出席した。続いて翌平成14年(2002)1月、イタリア・アッシジにおいてローマ法王ヨハネ・パウロU世の呼びかけになる平和への祈りの集会が大々的に開かれ、副教主が参加した。

「万国宗教会議」に参加

 明治26年(1893)、折からアメリカ・シカゴで開かれていた万国博覧会で、その名も「万国宗教会議」という名のもとに、世界で初めて各国の宗教者が集まった。日本からも数名の僧籍にある方々が出席したが、その後途絶えていたこの会議が100年後の平成5年(1993)、同じ場所で開催された。この会議に出席した副教主は続く平成11年(1999)の南アフリカ・ケープタウンにおける復活第2回会議に出席、平成16年(2004)7月スペイン・バルセロナで開かれた復活第3回の万国宗教会議に招かれて出席した。副教主は5,000名余の参加者を前に、開会式において、州の大統領をはじめ地元代表の挨拶に続いて宗教者として唯一人「平和への祈り」を捧げた。なお、開期中に「『誠』の教え-神道による平和への道-」と題して1時間半の講演もつとめた。

「比叡山宗教サミット」に招かれて

 かつてイタリア・アッシジローマ法王ヨハネ・パウロU世が主催して開催した「世界平和の祈り」を受けて、当時の天台座主山田恵諦師は「比叡山宗教サミット」を創設し、その第1回の集いが昭和63年(1998)8月に京都で開催された。教主は神道教団の代表として講演し、同サミット10年を記念した平成9年(1997)の集いには、副教主が演台に立った。なお、毎年8月初めには比叡山において祈りの集いが持たれており、副教主が出席しているが、平成12年のこの集いでは、国連宗教サミットに出席する日本使節団の結団式も執り行われた。

「カウラの慰霊祭」執行

 オーストラリア・シドニー市の西350キロほどのカウラという町に、かつて日本人捕虜収容所があって、現在も日本軍人の墓が丁寧にまつられている。収容されていた1,000名を超える日本軍人は、ひそかに議論に議論を重ねた結果、衆議一決して終戦1年前の昭和19年(1944)8月5日未明に蜂起して突撃し、その日だけでも230名余が戦士した。オーストラリア側は戦死者を手厚く埋葬した。昭和52年(1977)、日豪少年少女柔道チームの交流がきっかけとなり、日本からの柔道チームが渡豪するたびに本教教師が慰霊祭をつとめ、選手たちが神道山の“御神水”を一基ずつに注いでの参拝を重ねてきた。平成16年(2004)8月5日、“カウラの突撃”から60年目のこの日、カウラ市当局の呼びかけで当地のキリスト教聖公会の聖職者、前記RNNの天台宗、金光教そして浄土宗、浄土真宗、真言宗の宗教者と本教副教主がそれぞれの祈りをもって慰霊祭をつとめた

(「黒住教のあらまし」より)

黒住教大阪大教会所

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